
どうも、たかしです。
こちらの記事を読んで、ふっ、と思い出したことがあります。
たしか、うちの地元にもこういう直方体の看板、あったなあ、と。
※ここからは稲川淳二風に読んで下さい
そこであたし、今一度確認するために、その看板を見にいこうと思ってね。
自転車でね、キィーコーキィーコー、こいでいったんですよ。
10分ぐらいかなぁ。
着きました。例の看板があるところに。
これがまわり一面ズァーーーーーっと田んぼしかないところでねぇ。
そこに、一点。
ぽつ~~~~~~~ん・・・と白い看板が立ってるんですよ。
ふっ、と横を見ると小さな川が流れててね、橋がかかってるんだ。
周りに民家もなくてね、舗装された農道を、車だけがゴオ~~~~、っと行き来してる。
車が通らないと、チロチロチロ・・・、と虫の声しかしない、静か~~な所だ。
まあその、看板、なんですけどね、
どぉ~~~~~~~もなんだか様子がおかしい。
違和感、っていうのかなぁ。
あきらかに、そこにあるべき存在じゃあない。
直感的にわかる。
でね、ちょ~~~どその時スマホをもってたんで、写真撮ってきましたから。
ちょっとご覧になってください。
あれ~~~~?
妙~~~に変だな~~~~・・・・
だっておかしいじゃない。
看板っていうのは普通なにかこう、「情報」を持たせるものじゃあないですか。
この場所はどこぞの城跡ですよ~とか、
あと何メートルでどこそこに着きますよ~とか・・・
ところがこの看板、そういうこと、な~~~~~んにも書いてない。
ただ
「ありがとうございます」
とだけ、書かれてるんだ。
変だな~~~~~
おかしいな~~~~~・・・・
と思いながら、ひた、ひた、ひた、と看板に近づいてみる。
そしたらあたし気づいちゃったんだ。
看板の四面全部「ありがとうございます」としか書かれてない、って。
この看板はなんなのか
四面に「ありがとうございます」。
四面楚歌ならぬ、四面感謝。
いったいいつから、何のために、ここに立っているのか。
県や市の境目にあるような「ありがとうございました。また来てくださいね。」という意味の看板だろうか。
いや、ここは市の境でもなんでもない。まわりには田んぼしかない。いわんやお店なんてあるはずもない。
それに「ありがとうございます」だけ書かれていても何に対する感謝なのか、まったくもって意図が伝わってこないではないか。
看板の横を流れる川は「頭無川」という。カシラナシガワと読むそうだ。なんだか物騒な名前だが、頭無とは、川の頭つまり水源がはっきりしないという意味。全国にも頭無という地名は少なくない。まさか「頭無」に対して「有りが頭(ありがとう)」で対立を表現しているとでもいうのか。
周囲を見渡すと、橋のすぐ近くに小さな社があった。もしかしたら看板の謎を解くヒントがあるかもしれない。
風雨によってか紙垂(しで)が散っている。管理も最低限にしかされていないようで、かろうじて社の形を保っている状態だ。
「明永山 大義寺跡」説明看板によるとここには昔大きな寺があったそうだ。
ふと前を見ると、社の下にいびつな石がある。
鳥居をくぐって右手には狛犬が鎮座していた。赤い前掛けは鮮やかに発色しており最近取り付けられたものだとわかる。なるほど、さきほどの石も狛犬だなと気づいた。
左手を見やるとそこには犬とかけ離れた異形がいた。そして本来そこに居るべきもう一対の狛犬が社の下に横たわっていたのだとわかった。なぜ、こんなことに。
結局、社では看板についての情報は何一つ得られなかった。
自分なりに考察してみる
この「ありがとうございます」の文字、元のなんらかの文言を塗りつぶされた上に書かれているようだ。画像を見ると白く塗りつぶされているのがわかる。白さやフォントの綺麗さから、わりと最近上書きされたものだと推測される。
もともと、この看板は何か他の用途で利用されていたものなのだろう。のちに不要になり、処分するのも面倒だったので、とりあえず毒にならなそうな文言を書いて放置した、と考えられる。
さて、この看板、もとは何が書かれていたのか、ひとつ思い当たるところがある。
さきほどの社にあった説明看板。「平成23年度(2012年)」に立てられたと書かれていた。6年前。比較的最近だ。
もうおわかりだろうか。
この周辺にある史跡はあの小さな社だけ。
平成23年以前の社にも、この場所が史跡であることを示す「看板」はあったはずだ。
おそらく「ありがとうございます」で塗りつぶす前に書かれていた文言は「明永山 大義寺跡」だろう。平成23年に新しい看板が立てられるまでの間、史跡を示す看板として社の前に立っていたのだ。それがお役御免となり、塗りつぶされ、橋の前に放置されることになったという流れだ。
などとドヤ顔で語ってみたが、ストリートビューをみると平成24年(2012年)10月なのに、四面感謝の看板がない。
社には新しい看板が立っているが、例の看板はどこにも見当たらない。四面感謝の看板はこの社から持ってきたものではなかったというのか。
どうやら私の推理は間違っていたようだ。
結論
実はこの社からもう少し離れた場所に県の天然記念物に指定された大きな松の木「善明庵のマツ」があった。
しかし2012年4月の記録的な強風で幹が折れ枯死。翌年にすべて伐採されてしまい、天然記念物の登録も解除されてしまった。
このストリートビューは2012年9月のもの。松の木は枯死しているがまだ形を残している。松の周囲を鉄骨が囲み、倒木を食い止めていたのだろう。2013年に伐採され現在は大きな切り株を残すのみとなって・・・
・・・ん?
あれ、お前どこかで・・・
つまり、事の顛末はこうらしい。
2012年4月 松の木が強風で折れる
2013年11月 松の木が伐採される
2014年3月 松の木が天然記念物指定を解除される
2014年3月以降 松の木看板が不要となったため、四面感謝の看板として生まれ変わり、橋の前に置かれる
その証拠に2017年現在、松の木看板は消えている。
「ありがとうございます」という文言はこの地域を長年見守ってくれていた松の木に対する感謝の言葉なのかもしれない。
しかしこの看板がなぜ橋の前に置かれているのかは謎のままだ。この松があった場所と橋の前って相当離れてるんですよ。500m以上離れてますよ。
まとめ
「ありがとうございます」しか書かれていない謎の看板。なんか不気味!
って感じでホラー風にまとめようと思っていたのに、調べていくうちに真相にたどり着いてしまいました。
こういう身の回りにあるちょっとした謎を追いかける、という遊びは意外と面白いかもしれませんね。今回の「元は社の看板だった説」のように、結果的に事実とは異なっていたけれど、憶測で推理し自分なりに論立てることにもミステリアスな楽しさがあります。
みなさんの近所にもきっと小さな謎が転がっているはずです。夏休みの自由研究だと思っていろいろ調べていけば、もしかしたら思わぬ発見や感動に出会えるかもしれませんよ。
それでは、最後まで記事を読んでくださり、どうも